私が思う事(吉野)教育編6

2017年11月22日 22:23

今、大学の先生の間で有名な話。
企業の面接官との話でよく出てくるのが、一つ目の特徴として、企業が成績順に採用すると?えらいことになる。
成績順で取るのが一番嘘偽りなく平等な方法だが、それをしてしまうと採用するほとんどが女の子ばかりになってしまう 。

もう一つは、女の子ばっかり採用すると?
優秀な女の子ほど上昇思考がなくなってきている。

昔と今のウーマン・リブは
*アメリカ合衆国や日本で起こった「女性解放運動」のこと。

昔→男と戦って立場を勝ち取ろうとした。
今→周りと仲良くしたがる。
「競争社会」→「共生社会」になった。
いわゆる個人が物を持つよりも、いかに「シェアをするのか」に切り替わりつつある。人間の形が変わってしまった。
国民教育で民から国民になって、その国民から市民になった人達が、もう次の段階にいってしまっている。
新しい人達というのは政治意識に目覚めて運動して、その社会の中で金を稼いでのしあがろうとする人なんて若い人でほとんどいない。
そうではなくて、優秀であればあるほど、能力を「上昇思考」に使うのではなくて「水平方向(他の人達との繋がり)」に使ってしまう。

それは今の人達が「ハングリーではない」「豊かになりすぎたからだ」と言うのは?
ただ単に前の世代から見て、今の世代の人達が理解出来ないからだけ。
この国民教育の時代の人達からみて市民教育の人達は「何て自分勝手な奴なんだ」としか見えない。
でも、自分達は市民教育を受けたから国民教育の人達を「何て頑固で国家のいうことをバカみたいに信じている個性のない奴なんだ」と見ている。
新しい世代からすると「個性がない」。旧世代からすると「彼らはワガママ」と見えてしまう。
では、市民教育を受けた自分達が新しい繋がり世代の人達をどういう風に見えてるのか?
「やる気がない」「覇気がない」「本当は何がやりたいのかずっとわからなくてずっと探してるのではないか?」「そんなに友達同士が大事なのか?」「そんなにLINEで繋がっているのが大事なのか?」「それは、まだ自分がやりたいことがわからないだけだろ?」と自分達は新世代を理解出来ない。
理解出来ないから、新世代の人達が市民教育の人達を見たら「何であんなに言い合うんだろう?」「何であんなに奪い合うんだろ?」「何であんなにみんなで一つの物を持っていればいいのに、一つ一つを独占したがるんだろ?」「何であんなにバラバラの家に住んで、お互いが冷蔵庫一つ持たなければいけないんだろ?」
そうじゃなくて、一つずつ必要なのは「スマホ程度」のものであって、他の物は大体「シェアした方が楽じゃないか?」と考える。
彼らからすると自分達は「強欲なお陰で貧しくなっちゃってる市民教育世代」
自分達からすると、新世代の人達は「やる気がなくて覇気がなくて、会社をブラック企業だといって辞めてしまう心が弱い世代」

優秀な女性は総合職より一般職を目指す傾向がある。
社会が不安定だから専業主婦になりたいもあるけど、何より競争の中で自分を磨り減らすことをとことん嫌がっている。そういう風なことに自分の神経を使いたくない。優れた人は無理な上昇思考を持たない→次の世代の特徴。

資源の限界感。今の短い流行ではなく、現代の地球全体の資源の限界感。つまり無限に石油があるわけではないとか原子力も無限の回答になっめくれないという資源の限界感を感じている。次に経済の停滞。停滞している理由は明らか。世界中に徹底的に貧しい所がなくなってしまい、南北の格差が以前に比べたらかなり解消された。つまり、もう簡単で旨い儲け口はなくなってしまった。
今ある儲け口と言うのは?
これまでいろんな人達が商売していたものを一回全部潰して、チャラにしてITの力で単純単純化して便利にすることで、新しい富は生まれる。


 

お問い合わせ先

〒146-0094 東京都大田区東矢口 1-14-21 TEL:03-6424-5351
FAX:03-6424-5361
clubwilliamkidd@gmail.com