私が思う事(吉野)教育編3

2017年11月19日 22:20

近代産業である「工場で働く」と「兵隊とかを養成する為」に民から国民へのステップの変更が必要とされた。これが教育→「国民教育」という。
国民を作る為の教育

本来の教育。数百年前まであった割とゆるやかな「民の教育」。「家族の間で言葉が通じればいいじゃないか」「大体、お釣りの計算ぐらいが出来ればいいじゃない」ぐらいだった。
何故なら?
現金で買い物する必要がなかったから。
足し算・引き算はそんなに必要ではなかった。
当時の勉強は何をしていた?
中国の昔の本とかを暗唱したり声を出して読むような時代。
今の教育とは全然違う!
覚えることはほとんどなかった。

今の教育感は国民教育の時代を経て、「次にこれがいかに間違っていて悪いものだったのか?」という「否定する」ことで
「市民教育」を正しいものと考える。
市民教育の時代になった。
今は市民教育が用をなさなくなってきたので、次の何かの教育になる。
*国民教育→市民教育→❓

「帝王教育」
「帝王学」とも呼ばれる。誤解されやすいが、「ある人間を偉大にする教育」ではない。人間の才能を伸ばしたり、偉い人にする教育でもない。
中国の戦国時代でも、ヨーロッパの戦国時代でも言われてたのが、最終的に「世襲制」に戻っていく。
* 世襲とは、特定の地位(官位や爵位など)や職業、財産等を、子孫が代々承継すること。

世襲制、つまり王様の息子・娘が跡を継ぐというのが「人類最古の政治形態」だと思っている人が多いが、とんでもなく間違い。

例えば、中国の戦国時代。当時の中国の戦国時代は凄く荒れていて、王様がすぐに面倒くさくなって、「能力が高い奴」「街中で評判がいい奴」「ただ単に口が上手い奴」とかに王位を譲ってしまう。
今で言うと?
創業社長が優秀な社員に社長を譲るということが、当たり前のように行われていた。
古代社会というのは、今の考えより遥かに民主的。

人類社会というのは、言語とか文字を発見してから大して進歩はしていない。
今はたまたま「自由」と「民主主義」が流行っているだけ。

マキャベリの「君主論」によると、王様だから偉いわけではないし、もっと有能な奴が国を統治すれば良い。
場合によっては、選挙で国を治める奴を選んでもいいのではないか?と言っている。こんなのはローマ時代からやっていること(自由選挙)
近代の発明でも何でもない。
ところが、マキャベリはこれをやると大変になると言っている。
有能な奴が国を治めるといったら、結局は有能な奴合戦になって、一番大事な国を安定的に治めるというより、誰が治めるのか?という権力合戦になってしまう。
今の日本の政治と同じ。
いわゆる政党政治、等派政治の欠点は何かと言うと?
充分に時間があって話し合って、みんなが立場が自由で身分がないからこそ、無限に「言い合い」と「足の引っ張りあい」が続いてしまう。
ローマ時代から続いている政治が抱えてしまう問題点。
マキャベリは2つに分けて考えた。
・人間は自由にトップになれる国(民主主義の国)
・王様の息子がどんどん跡を継ぐ。君主国。
に分けた。

 

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